2011年4月19日火曜日

動物園

日曜日、あんまりいいお天気だったので動物園に行きました。

テンちゃんが卒園遠足で行くはずだった動物園です。
残念ながら前日に震災があって延期、中止になってしまったので、家族でいって来ました。





二人とも大喜びで、興味深そうに見ていました。
ミッキもたくさん歩きました。

また行こうね。

2011年4月13日水曜日

テンちゃんの絵

おじいちゃんにプレゼントするために描いた、おじいちゃんの絵です。



いつの間にか人の顔を描けるようになったのね。
「おじいちゃん、メガネかけてるよ」と言ったら左右つながったメガネになっちゃったけど、そこはご愛嬌ということで。

ひらがながブームのテンちゃんに、自分の名前書いてごらん、と言って書いたのが下のニョロニョロです。
二文字目は「ん」に見えないこともない、かな?

2011年4月2日土曜日

3月11日

二日前のテンちゃんの誕生日には、こんなことが起きるとは全く想像できなかった3月11日。

うちの家族はバラバラな場所で大地震にあいました。

私は青山のオフィス、タカくんはお客様先の横須賀、子供たちは保育園、ビーちゃんは家。

地震が起きてまっさきに心配したのは子供たちのこと。保育園の園舎は、築60年もののツギハギの木造家屋です。
この揺れで倒れたんじゃないかと思うと震える中、連絡しようにも、間の悪いことにその日、携帯を忘れた私は保育園の番号がわからない。
ひとまず暗記しているタカくんにかけても、すでに回線はパンクしていてつながりませんでした。

しばらくすると、インターネットは使えることがわかり、ネットで調べてひたすら電話。でも全くつながらず。
余震におびえつつも、5時過ぎまで仕事をし、(不思議なことに会社の人達は良くも悪くも落ち着いて仕事をしてました。帰る頃に気付くとマネージャーは地震の直後にとっとと帰っていたらしい。一言みんなに、仕事はいいから帰らなきゃいけない人は帰っていい、と言って欲しかった)ひとまず家に向かうことに。

帰りがけ、後輩の子が「同じ方面でまとまって帰りましょう」と声をかけてくれて、8人くらいで東にむかって出発。
この頃は被害の大きさがわからず、歩いているうちに電車が動くだろう、と思っていました。

出発して1時間程で保育園に連絡がつき、無事をきいて一安心したものの、早く顔を見て安心したい、させてあげたい一心で歩きました。

それから2時間後くらいに姉と連絡がつき、子ども達を迎えに行ってもらえることになりました。

途中、後輩の家で休憩させてもらい、23時頃、車も流れ出したかなと(歩いてる時は都内は大渋滞で車が全く進んでいなかった)タクシーで再び出発。しかし、すぐ渋滞につかまり、それから4時間で10kmほどしか進みませんでした。

千葉県に入る橋付近では10分で1m進むかというくらいなので、意を決してタクシーを降り、再び歩き出しました。列をなす車を横目に歩くこと2時間。朝の5時にようやく帰宅しました。

ビーちゃんが恐怖からか寂しさからかトイレではないところに粗相していたものの、家の中は本が数冊棚から落ちた程度でした。

子ども達は姉が送って来てくれて8時頃に再会、横須賀でマンガ喫茶で夜を明かし朝ようやく動き出した電車で帰って来たタカくんはお昼頃に帰宅しました。

タカくんが帰って来て家族が揃った時にはホッとして涙がでました。
子ども達をあずけて東京で働くっていうことは、こういう事態を想定してないといけないんだなあ。

すぐに親や兄弟といざという時の安否確認方法を決めました。

後日聞いたところでは、保育園ではお昼寝から起きたところで地震がきて、ミッキは抱っこしてもらって、テンちゃんは自分の足で庭に避難したとのこと。

平気な子もいるなか、テンちゃんはガクガク震えていたそうです。

それからみんなでお庭でオヤツを食べて落ち着いたみたいだけど。

今回の地震は家族が揃っている有り難みを感じるとともに、いろいろ考えさせられる出来事でした。
まだまだ余震があるけど、早く今までの生活が戻りますように。